題字

―恋人未満たちの初夜―

Chapter8

   ルミナスの王都ティアンの片隅に、極秘裏に設立された訓練所がある。
   ローゼンとメイリーズが外の世界に戻ってから、およそ半月後の、夕暮れ時――
   訓練所内の一室で、盛大な笑い声が響き渡った。
  「うーん、素晴らしいっ! これは傑作だ! シリアスな悲劇かと 思わせておいて、最終局面で喜劇に転じるオチ! このどんでん 返し!! いやぁ、本当に面白い!」 
   一人で大爆笑しているのは、20代後半ほどの年齢に見える青年だ。
   ぼさぼさの短い黒髪に、うっすら浮いた無精ひげ。どこにでもいるような凡庸な 容姿をしているが、よく観察すると、細身ながらも筋肉質で、 まった体つきをしていることが わかる。少なくとも、このルミナスで一般的に見られるような類型の男ではない。 
  「……バッドエンドの悲劇よりは、滑稽こっけいでも未来のある喜劇のほうがましです」
   ローゼンは、どうにか冷静さを手放さずに言い返した。
  「ああ、そうだとも! だけど、れた女の目の前でゲェゲェ吐くなんて、男として 最低レベルの醜態だぞ。しかも、そのせいで彼女に可哀相な誤解 までさせて! さらに、三日も 寝込むとは……いやぁ、格好悪い! 間違いなく格好悪い。超格好悪いなぁ、うん!」 
  「……格好悪いのは認めますが、俺がいつメイリーズのことを『惚れた女』だなんて 言いました?」 
  「惚れてないのか? 嘘はいけないな。レスティ嬢は、金持ち貴族の令嬢 としては珍しいタイプみたいじゃあないか。結ばれた翌朝、二日酔いでゲェゲェ くような男を軽蔑せずに 心配してくれるとは、かなり貴重だぞ? おまけに可愛いんだろう? 俺なら惚れるね」 
  「……………………」
   ローゼンは、メイリーズに対する評価を否定する言葉を持たず、結果的に 沈黙するしかなかった。 
  「あれまぁ、赤くなっちゃって」
   青年は、おどけた調子でからかって、くくっ、と喉を鳴らした。
  「最後の最後の最後、男として最も腹をくくるべきときに、酒に逃げようと するから醜態しゅうたいをさらすことになるんだよ、ローゼン君。前に酒場へ れていったとき、水割り一杯でぶっ倒れて、 自分が極端にアルコールに弱い体質だということは思い知ったはずだ。その教訓 を生かさないとは 感心できないな。せいぜい反省したまえ」 
  「はい……」
   さんざん馬鹿にされていることを自覚しながらも、ローゼンは素直に頷いた。
   自分の取った行動がかつだったのは確かだし、こういう話題のとき、この相手に 口答えしても、ろくな展開にならないことは目に見えている。 
   ダナム・イーラムと名乗るこの青年に、禁書屋でスカウトされてから、早半年余り。
   これまで、口で勝てたためしは滅多にないのだ。上官と部下、 あるいは指導員と生徒と言うべき関係のせいもあるが、 何より個人的な相性の問題という気がしている。 
   今日は、アカデミーの帰り、およそ半月ぶりに訓練所を訪れたのだが、 予想通り、自分の身に起きたことを洗いざらい喋らされる羽目になった。 
   だが、自分の意思でこの相手についていくことを決めた以上、 部下として偽らざる報告をすることは義務だとも思う。特に今回の件は、この国の現状を端的 に示す事例として 重要だから、秘匿しておくわけにはいかない。 
  「……教訓を生かせなかった点に関しては、十分に反省します。けど、この半年間に 影の兵士として身につけたスキルは、いろいろな局面で役に立ちましたよ」 
   ローゼンは、聖婚室での一連の出来事を思い出しながら、感慨を込めて呟いた。
   人の気配や、その微妙な変化に敏感になること。できる限り沈着な判断力を 守ること。口に入れる物に常に注意を払う心構え。敵を素早く無力化するための拘束術。 
   これらは全て、影の兵士として求められる、ごく基礎的な能力だという。
   しかし、自分は影の戦場に出る前に、これらの能力を生かす機会に 恵まれてしまった。喜んでいいのか、悲しむべきか、複雑な心境だ。 
  「はっはー! そうか、役に立ったのか。俺の言った通りだろう? 魔術の腕を みがくだけじゃあ、 生うまく渡っていけないって! 事前にしっかり勉強しておいて良かったな。アイヴィー ねえさんと、彼女を紹介してやった俺に感謝したまえ」 
   青年は何やらひとてんしたらしく、勝手に上機嫌になって、 うんうんと頷いている。 
  「ち、ちょっと! 何の話をしてるんですか! 俺が言ったのは……」
  「いやいや、皆まで言うな。男女の交渉というのは奥が深くて、経験が何より 物を言う。相手が無垢な乙女なら、なおさら接し方には知識 と配慮が必要だしなぁ。だが、そういう勉強をしたって ことは、レスティ嬢には伏せといたほうが無難だぞ」 
  「あ、あれは、あなたが無理やり……!」
   数ヶ月前、ダナムに娼館へ連れていかれたときの記憶が蘇って、 ローゼンは狼狽した。 
  戦闘娼婦ヒエロデュール跳梁ちょうりょう跋扈ばっこする影の戦場で、女性経験なしに戦えると思うな!』とか 何とか、無茶な理屈をつけられ、訓練の一環と称して引きずっていかれたのだ。 
   酒場に次いで娼館へ連行されたときには、ローゼンもさすがに自分の進退に ついて深刻に再検討したものだ。未成年に酒や を与えるような超絶道徳破壊大人についていって、自分は 本当に大丈夫なのか、と。 
  「そんなにうろたえなくてもいいだろう。他のスキル同様、女性経験もちゃんと 役に立ったはずだ。違うかね、ん? ローゼン君?」 
  「それは……そうかもしれませんけど……」
   ローゼンは、やはり口での抵抗をあきらめ、相手の言い分を認めた。
   ふざけているようでいて、大抵の場合、ダナムの言葉は本質的に 正当なので始末が悪い。 
  「まあ、とにかく……身につけたスキルを前向きに生かしたことは めてやろう。酒の中の薬物も、たいした効き目がなくて良かった。 なる二日酔いで済んで何よりだ。さっき 答えた通り、俺も悲劇より喜劇のほうが好みだからなぁ」 
   ダナムは、少しだけ真面目な顔つきになった。
  「よくぞ生還してくれた。おまえは、俺が苦労して発掘した貴重な人材だ。自分の 境遇を悲観して、レスティ嬢と心中されては困るところだった」 
  「あんな場所で死ぬことなんて……最初から俺の頭の中にはありませんでした」
   ローゼンは、デスクを挟んで向き合う相手の目を見据えて、告げた。
   自分がこの超絶道徳破壊大人を見限る気になれないのは、自分の人格を認めた上で 真摯に必要としてくれる相手だからだと、改めて認識する。 
  「しかし、ローゼン。聖婚室と名付けられた牢獄でレスティ嬢と関係を持つことは、 押し付けられた条件を呑むことであり、自分を監禁 した存在に屈することでもある。精神的な抵抗が なかったわけではあるまい?」 
  「それは、もちろん……。けど、そういう抵抗感がより強かったのは、 メイリーズのほうです。俺は、ひたすら死にたくないという気持ちがまさって……逆に、 んだら負けだとも 思いましたよ。死んだら死んだで、奴らを喜ばせることになる気がしたので」 
  「なるほど。なかなかいい答えだ」
   ダナムは満足げな様子で言いながら、デスクの上の筆記具を一本取って、 右手の人差指の先に載せた。天秤てんびんのように、ゆらゆらと左右を交互に傾ける。かなり器用だ。 
  「屈辱の生か、名誉ある死か。仮に、このどちらかを選ばねばならないような 極限状態に置かれたとして、さて、どちらを選ぶか。この質問 をいろいろな人間に吹っかけてみると 面白いぞ。基本的な性格のタイプがわかって」 
  「性格のタイプ……?」
  「そう。『屈辱の生』と答える人間は冷徹なリアリスト、 『名誉ある死』と答える人間は情熱的なロマンティスト、ってとこだ。影の兵士に向いている のは前者 のタイプなんだよ。影の戦場では、どんな苦痛や屈辱も耐え忍んで、しぶとく生きられる者 だけが勝者 となり得るからなぁ。おまえには適性があるぞ。やはり、この俺の目に狂いはなかった」 
  「はぁ……」
   ローゼンは微妙な返事をした。
  「んん? どうしたローゼン? こういう適性を認められても、嬉しくはないか」
   ダナムは、指先でもてあそんでいた筆記具を軽く上に弾き飛ばしてから、 ぞうに 二本の指で挟んでキャッチした。 
  「あ、いえ、そういうわけではなく……ただ、個人の人格は、現実主義者だの 夢想家だのという単語のラベルを貼って分類できるほど、単純なものではないと感じただけです」 
  「ほう……? やけに悟ったような発言だな」
   ダナムは興味を抱いたようで、こちらに身を乗り出してきた。
  「現実をシビアに認識するのが現実主義者なら、それは俺ではなくメイリーズ です。俺は現実に夢を見ている楽天的な夢想家 なのかもしれません。2000年かけて形成された巨大なルミナスの 意思に喧嘩を仕掛けて、いつか勝つつもりでいるんだから」 
  「まあな。確かに、まともな現実主義者の考えることじゃあないか。俺も同じだが」
  「……いずれにせよ、俺とメイリーズは、決して同じラベルを貼られる ことはない者同士でしょう。でも、ラベルの中身として まっているものは、実のところ結構似通ってるん じゃないかって……そう、思ってるんです」 
  「はっはーん? あれこれ小難しい言い回しをしてるが、要するに、レスティ嬢との 相性が気になってるわけだ? わかるよ、その気持ち。不安があるなら何でも相談したまえ」 
  「え、いや、そういうわけでもないんですけど……」
   またしても自分の発言をダナム流に解釈されてしまい、ローゼンは困惑した。
  「ところで、基本的な話の流れの続きになるが、おまえ、レスティ嬢の可哀相な 誤解は、既に解いたんだろうな?」 
   いきなり問われて、ローゼンはギクリとした。
  「え? えーと、それは……」
  「まさか、まだなのか? 自分の失態のせいで彼女を無駄に苦しめ続けて、 罪悪感を覚えないのかね? それは男として、ちょっとどうかと思うよ、ローゼン君」 
   青年に責められても、ローゼンは返す言葉がなく、 黙って視線を机上に落とした。 
  「おまえとレスティ嬢は、ヴェスル・アカデミーのクラスメイト なんだろう? 会う機会には困らないはずだ。それとも、彼女はショックで欠席でもしてるのか?」 
  「いいえ、今のところ毎日来てますよ。だけど、 避けられてるんです。思いっきり……」 
   聖婚室で別れて以来、メイリーズとは一度も会話していない。
   彼女は、何事もなかったかのように、普通にアカデミーに姿を 見せている。けれども、決してこちらには近づこうとしないし、こちらから近づこうとすると自然な行動を  って逃げてしまう。追いかけて強引に接触することも可能ではあるが、 どこか躊躇 されて、話しかけること もできずにいるのだ。 
   メイリーズからは、数日前に一回だけ、彼女の友人を通じて 短い手紙が届けられた。身籠ってはいないことが判明したと告げる内容だった。 
   妊娠が否定されたことは、正直、ほっとした。あんな場所でできた子供は、 どう考えても不幸だ。「無理やり作らされた」子供を誕生させなくて済むのは喜ぶべきことだろう。 
   至聖殿の巫女が、扉の魔印を『聖母聖別の刻印』と呼んだことが 引っかかっていたが、その名称は便宜的なものらしい。処女でさえなくなれば、あの魔印は破れるのだ。 
   しかし、ほっとする反面、一抹いちまつの未練のようなものが心の底に残って、 それが自分でも信じられなかった。 
   メイリーズの手紙の最後には、『できるなら、どうにかして結婚を取りやめて ください』という一言が書き添えられていた。 
   こうしている間にも、テンペスト家とレスティ家の親たちによって 定められた婚儀の日取りは迫ってきている。およそ半月後の満月の夜だ。正式な儀式を経て結婚が おおやけにされてしまえば、身動きが取りにくくなる。それまでに、何か手を打たなければ……。 
   そう、メイリーズに頼まれるまでもなく、仕組まれた結婚は 叩き潰すつもりなのだ。 
   相手から、わざわざ改めて頼まれたことが、ローゼンの心に思わぬ波を立てた。
   互いに望んだ結婚ではないのだから、彼女の依頼は当たり前 で、正当だ。そう理解していながらも、自分が異性として 拒絶されたかのように感じられて、暗い気分になった。 
   だが、ひょっとすると、彼女の依頼には例の誤解が影響しているの ではないかとも推測できて、それがまた心をかき乱した。 
  (……やっぱり……強引にでも、あいつを捕まえて、向き合わないと)
   偽りの思考ではなく、今度こそ、その思いは真実だった。
  「……レスティ嬢を、本気で得たいと思ってるんだろう? 顔に 書いてあるぞ。躊躇している暇があったら、正直に気持ちを伝えてみたまえ」 
   ダナムが、珍しく神妙な口調で言った。
  「おまえとレスティ嬢が、こういう形で引き合わされたのは、女神が用意した 特別な運命かもしれない。だが、目の前に降ってきた運命を、選ぶか ばないかはおまえ たち次第だよ。選ぶつもりなら、行動は迅速にな。さもないと、通り過ぎた後で 後悔することになる」 
  「選んでも……いいんでしょうか?」
   いくら他人に尋ねてみたところで、選ぶのは自分自身の責任 だと、わかってはいる。 
   しかし、それでもローゼンは、尋ねずにはいられなかった。
  「俺は半年前、あなたと出会って、影の兵士になることを決めた。このルミナス を新しく生まれ変わらせる力を蓄えるために。すなわち、自国 とも外国とも戦うことを、 己の進む道として選んだ……」 
   ――紛れもなく自分の意思で。自分の望む世界を実現したいと思うからこそ。
  「自分の命は最大限大事にするつもりですが、それでも寿命を まっとうできない覚悟くらいは固めたんです。そんな人間が、今更自分の私的な幸せを 追求してもいいんでしょうか?」 
   ローゼンは真剣に迷っていた。
   だが、ダナムは笑い始めた。さもおかしげに。
  「ローゼン! おまえの考え方は本末転倒だぞ。いかにも、 お堅いおまえらしいがなぁ」 
   青年は喉を震わせながら、目を細めてこちらを見た。
  「おまえは、おまえの望む世界を実現させたいから影の兵士になった。おまえの 望む世界というのは、おまえが幸せになれるような世界のことだろう。ん、違うのか?」 
  「ち、違いません……」
  「だろう? そうだろう? おまえが死の危険にさらされながら働いて、 いくら多くの他人が幸せになっても、おまえ自身が幸せになれないんじゃあ意味 がない。まあ、 おまえにはいずれ頻繁に国外に出て活動してもらうことになるから、所帯を持てば家をけることが 多くなるかもしれないが……いちゃつくのは時間よりも内容の濃さでカバーしたまえ」 
  「は、はぁ……」
   あまりにあっさりと答えられたので、ローゼンは今ひとつ釈然としなかった。
   そこへ、たたみかけるようにダナムが言葉を続けた。
  「今回の件は、おまえが以前口にしていた『昔からの念願』を叶える好機に 違いない。国とか社会とか、漠然としたものに目を向ける に、具体的な守るべきものを 持つのも悪くないぞ? 影の兵士としてのモチベーションも高まるだろうしなぁ」 
  「そう……ですね」
   ローゼンが、やっと納得して、決心しかけた、そのとき――
  「とはいえ、振られたら仕方ないよな、うん。その場合は 孤独に格好よく戦いたまえよ」 
   ガツンと一発やられた。
  「……そうですね。振られる可能性のほうが高いと思います。たぶん俺は、 メイリーズの理想とは掛け離れてるだろうし」 
   ローゼンはデスクの上にひじをつき、左手で額を押さえて、うつむいた。
  「レスティ嬢の理想? ほう…… 彼女の理想のタイプとは、どういう感じの男なんだ?」 
  「……正確には言えませんが、おそらく、ロマンティック なことができる男でしょう」 
   ローゼンは、少女の所持していた偽装禁書の内容を思い起こしながら言った。
  「ロマンティック? つまり、愛の言葉を囁くとか、そういうことかね?」
  「ええ、まあ、そんな感じだと思います」
  「じゃあ、話は簡単だな。今からでも練習すればいい。俺が ばっちり指導してやろう」 
  「無理です! 性格的に」
   ローゼンは、反射的に顔を上げて叫んだ。
  「歯の浮くような愛の言葉なんて、口が裂けても吐けませんよ」
  「あーあ、それは致命的だよ、ローゼン君。慣れれば いいだけのことなのになぁ」
  「あいつ……純潔を奪ったのを許してくれても、体調を心配してくれても、 根本的には俺を嫌ってるかもしれません。相当ざまな姿を見せたし、誤解を解けば、なおさら……」 
   少しずつ思考がネガティブになってきたローゼンを見下ろし、 ダナムは薄く苦笑した。 
  「おまえ、自分が今いくつだか、わかってるのか?」
   青年の指が、ローゼンの頭に置かれて、荒っぽく髪を乱す。
  「ついこの間16になったばっかりだろう。まだまだガキだ。そんな青い ガキが、ひとつも格好悪いところを持ってないようじゃあ、可愛げがなさすぎるぞ。無様 で結構。完璧に 振る舞おうだなんて、思うこと自体が大それていると知りたまえ」 
  「……子供扱いはやめてくれるよう頼んだはずですが」
   親しみを込めて触れられる心地良さを味わいながらも、 ローゼンはぜんと抗議した。 
  「おっと、そうだったなぁ。じゃあ、おまえを一人前の男と見なした上で、 俺が一時的に力添えするというのはどうだ? 言葉が無理なら、何か のものに気持ちを込めれば いいんだよ。それも十分にロマンティックだし、誠意を伝えられるはずだ」 
   ダナムの提案を詳しく聞いて、ローゼンはそれを承諾した。
  「よし、そうと決まれば、行動は早いほうがいい。さっさとブツを準備して、 明日にでもレスティ嬢に会ってみるんだな。任務成功を祈るぞ……」 
   いつもの調子で言った直後――ダナムは表情を一変させた。
   冷厳な光が双眸に宿る。
   それは、この青年の、思想家としての……あるいは、影の兵士としての顔。
  「任務終了の暁には、その結果をちゃんと報告しに来たまえよ。そのときには、 きっと、おまえが自分の幸せを守るための新たな覚悟を問うことになるだろう」 
  「……!」
   低く、脅すように命じられ、ローゼンは思わず まいを正した。
  「今回の一件が、おまえの心にどういう影響を与え、どう変化させたか、俺には 全てお見通しだ。レスティ嬢への穏やかな好意の反対側に、冷たく荒れ狂う が見える。やりきれない怒り や憤り、そして悲しみ。抑えようにも抑えきれない、負の感情がな」 
   青年の鋭い視線に射られると、本当に心の奥を見透かされている ような気分になる。 
  「自分の生みの親と、今こそ決別できるかどうか、じっくりと心 を見つめ直せ。俺の言いたいことは以上だ。さあ、行け……」 
  「……はい」
   ローゼンは、短く頷いて、席を立った。
   次にここに座るとき、自分が下すであろう決断についての、 確信めいた予感と共に――