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題字

―恋人未満たちの初夜―

Chapter6

   聖婚室に入れられてから、二度目の食事が差し入れられた。トレイを運んできた 巫女は相変わらずの対応をして、さっさと立ち去ってしまった。 
   今度のメニューは、スープや肉料理が付いて、全体的に量が多めになって いる。普通に判断すれば夕食だ。ここの食事 は、一日二食なのかもしれない。狭い部屋の中で、じっとしている だけなのだから、それで十分ではある。 
  「食べるか? メイリーズ」
   ローゼンは、ベッドに座る少女に呼びかけた。
   少女は、無言で小さく首を振った。
  「食べたくない気持ちもわかるが、少しは食べろよ。せめて、水だけでも……」
   自分が眠った状態で放り込まれるかなり前から、メイリーズはこの 部屋にいたらしい。 
   一人でいるときも食事には全く手を付けなかったというから、もう丸一日以上何も 口にしていないはずだ。 
   精神状態からして、肉やパンが喉を通らないのはわかる。だが、水さえ飲まない というのはまずい。栄養なしで数週間生きられる人間 も、水分なしではわずか数日しか生きられない。体内の水分 の欠乏は、即刻命に関わるのだ。 
   食事に添えられた水には、何らかの薬物が混入されている可能性もあるにせよ、 致死性のものではないことは確かだ。死んだら子供は作れない。 
  「ほら、一口でもいいから」
   ローゼンは、ボトルの飲み水をグラスに注ぐと、メイリーズの顔の前に突きつけた。
   しかし、少女は緩慢に首を振るばかりだ。
   メイリーズは、涙を枯らして泣きやんだ後、表面的には態度を落ち着かせた。
   もう泣かないし、叫ばないし、怒らない。発作的に危険な行為に走ろうとしたり、 凶器を探してうろついたりすることもない。 
   その代わりに、微笑みもしないし、当たりさわりのない会話にもろくに 応じなくなった。 
   まるで一切いっさいの喜怒哀楽を捨て去ったかのような顔で、ベッドに腰掛けている。
   淡い緑の双眸は、無機的に前方の景色を映し出すのみ。おもちゃのガラス玉と 比べても輝きに欠けている。 
   ローゼンは辛抱強く相手に水を勧めたが、頑なに拒否された。
   唇をこじ開けてボトルを突っ込むわけにもいかないので、仕方なくあきらめる。
   気力的にも体力的にも、相手にとっての限界は近そうだ。
  (もう、猶予はできないな……)
   ローゼンは、いよいよ心を決める必要に迫られた。
   そのとき――
  「……ローゼン……」
   メイリーズが突然、自分から声を発した。
   ローゼンは驚いた。
  「な、何だ? 水、飲む気になったのか?」
  「飲み水は、要らない……。でも、お風呂に入りたいの……」
  「……入浴か。ここには浴槽はないけどな」
  「冷たい水を浴びるだけでいいわ。少し、すっきりしたいだけだから……」
   そう言うやいなや、メイリーズは、ふらりと立ち上がった。
  「ちょっと、行ってくる……」
   足を引きずるような歩き方で、奥に簡易入浴設備のある扉のほうへ近づいていく。
  「おい、待て!」
   ローゼンは慌てて後を追い、少女が扉に手をかける寸前に、腕をつかんで止めた。
  (凶器を取り上げられたから、水場を使って死ぬ気じゃないだろうな……!)
   メイリーズの行動に疑いを抱き、ローゼンは不安に駆られた。
  「……離して」
   少女は消え入るような声で抗議した。
  「今のおまえを一人にさせるわけにはいかない。どうしても水を浴びたいと 言うなら……俺も行く。俺が見てる前で浴びてもらう。それでもいいのか?」 
   ローゼンは、しんに問いかけた。冗談めかそうとしても、 それだけの余裕がない。 
   メイリーズは、わずかに首をかしげてから、すぐにうなずいた。
  「……!」
   平常時なららちとも取れる要求を、あまりにもあっさりと承諾する相手に、 ローゼンはギョッとした。 
  「メイリーズ! おまえ、大丈夫か? ちゃんと意味わかって頷いてるのか?」
   少女は、またも頷いた。
  (本当かよ……!)
   ローゼンは、少女の反応が異常であると感じて、内心で慄然りつぜんとした。
   対面した当初は、薄衣うすぎぬの上からでも見られるのを嫌がって、あれほど騒いでいた のに。その後も、ずっと身体に厳重に毛布を巻きつけたままだったのに。 
   でも、そう言えば今は身につけていない。彼女が毛布を手放したのは、 いつだったか。 
  (そうだ、俺の身体に掛けてくれてたんだ……)
   この部屋で二度目に目覚めたときのことを、ローゼンは思い出した。
  (あの口論の件は、一応、許してくれたと思っていいのか……?)
   確か、メイリーズは、『あなたのせいで死ぬわけじゃない』というような言葉も 口にしていた気がする。『大っ嫌い!』という台詞は、とりあえず撤回されたと解釈してもいいのだろう。 
   しかし、それとこれとは別問題のはずだ。口喧嘩のことを許したついでに 身体まで許す気になるとは、到底思えない。あり得ない話だ。 
  (……あの遺書の内容が、あまりにもショックだったせいか?)
   感受性の強いメイリーズの心は、過去の悲惨な現実に耐え切れずに、 どこかが壊されてしまったのだろうか。ごく短時間 で、ひどくやつれたように見える彼女は、あたかも エイシアという少女の怨念おんねんに取り憑かれているかのようだ。 
  「……ローゼン?」
   ぼんやりした眼差しで見上げるメイリーズに名を呼ばれ、 ローゼンは思考を中断した。 
  「いや、何でもない。おまえがいいなら、行こう」
   少女の腕を放して、浴室へと続く扉を開け、二人で中に入る。
   石の壁に囲まれた狭隘きょうあいな空間には、単純なシャワーの設備だけが 取り付けられている。 
   ローゼンは少し迷った末、上半身の衣類だけを脱いで、浴室の外に放り投げた。
  「おまえは……そのままでいいか」
   少女の返事を待たずに、ローゼンは扉を閉めた。
   壁のコックをひねると、固定式のシャワーヘッドから水が流れ出した。季節的には 春も半ばとはいえ、降ってくる水は、かなり冷たい。 
   温度調節は、コックの横に描かれた固定魔印を利用して自分の好みに 合わせるのが基本だ。固定魔印は、魔術士の『見えざる手』の代用 となるものだから、わざわざ魔術を紡がなくても、 魔力を注いでやるだけで水を湯に変えることができる。 
  「温かくするか?」
   簡潔に尋ねると、相手は首を横に振った。
  「そうか。なら、これでいい……」
   ローゼンは、さらにコックを大きくひねって、シャワーの水の量を増やした。
   全身に冷たい水を浴びる。
   寒いくらいだが、身が引き締まって、湯を浴びるときとは 別の気持ちよさがあった。 
   水はどこから引いているのか知らないが、よどんだ感じはしない。
   試しに両手で受けて溜めてみると、異物は混じっておらず、とても 澄んでいる。黴臭かびくささなどの異臭も特に感じられない。 
  (もしかして、飲める……?)
   まさかシャワーの水にまで薬物は入っていないだろうから、飲むなら、 こちらのほうが安全かもしれない。 
   ローゼンは、手で受けた水を口に運んだ。
   ――美味しい。
   ボトルの水を大量に飲む気にはなれず、ずっと喉の渇いていたローゼンは、 シャワーの水を夢中で何度も飲んだ。 
   満足して一息つくと、メイリーズにも飲ませることを思いついた。
  「……ここの水、飲んでも問題なさそうだ。透明だし、変な臭いもしない」
   言いながら、ローゼンは相手に安全性を伝えようと、再び水を両手に溜めた。それから 背後に向き直る。 
    「ほら、澄んでるだろ? うまいから、おまえも飲ん……」
   ローゼンは、中途半端なところで言葉を切って、その場で硬直した。
   メイリーズのまとっている薄い布のローブは、水に濡れて肌に貼り付き、 ほとんど透けていた。胸元の膨らみの形も、肌の色合いの微妙な変化も、全部見える。 
   裸よりはましだと思って服を脱がせなかったのに、逆効果……かえって扇情的だ。
  「そんなに……美味しいの?」
   メイリーズは、ローゼンの視線などまるで気に掛けない様子で、 差し出された水に顔を近づけた。そのまま直接、口をつける。 
   少女の唇が、ローゼンの手のひらに触れた。
  (……!?)
   ローゼンは愕然としたが、水を飲ませるせっかくの機会をふいに するわけにもいかず、ひたすら体勢を保つしかなかった。 
   メイリーズは、両手に溜められた水を少しずつ、ゆっくりと 飲んでいく。水の量が残りわずかになったとき、柔らかな感触の舌先が、 ローゼンの肌をつたった。 
   冷えた肌に温かい舌が触れるたび、 かんとは呼べない震えが 手から全身へと広がる。 
  (うぁ……ちょっ、メイリーズ……!?)
   ローゼンはたまらず心の中で悲鳴を上げた。
   水を全て飲み干してしまうと、少女はようやく顔を上げた。
  「本当……美味しい水。ありがとう……」
  「い、いや、どういたしまして」
   ローゼンは、ほぼ無意識のうちに一歩後ろに下がって、相手から離れた。
   水を浴びながら、熱を帯びた身体を冷やす。
   どうにか平常心を取り戻すと、コックを閉めて、シャワーを止めた。
   だが、果たして平常心に戻る必要があったのかどうか――
   ローゼンは、はたと気づいた。
  (そんな必要、ないんだよな。どうせ俺は、これから……あいつを……)
   胸の奥がきしんで、ずきりと痛んだ。
   しかし、これ以上、先延ばしにすることはできない。目を逸らすことも、 逃げることも許されない。 
   生きたいなら――
  「あんまり長く浴びてても、風邪引くだろ。そろそろ出よう」
   心を決めたローゼンの提案に、メイリーズはやはり黙って頷いた。


   ローゼンは適当な引出しからバスタオルを取り出すと、メイリーズに渡し、 自分も髪や身体の水気をぬぐった。 
   濡れた衣服は全部脱ぎ捨てて、代わりにタオルを腰に巻きつける。
   ふとメイリーズのほうに目をやると、濡れたローブを脱ぎにくそうにしていた。
  「手伝ってやろうか?」
   拒否の言葉や仕草がなかったので、ローゼンは少女に近づいた。
  「これはもう、こうしたほうが手っ取り早いな」
   ローブの襟元えりもとに手をかけると、力を込めて、一気に引き裂く。
   そでから腕を抜き取り、完全に脱がせてから、乾いたタオルで 身体をくるんでやった。 
   そして、十分に注意を払いつつ、タオルごと少女を抱き上げる。少しは 抵抗されることも予想していたのだが、メイリーズはおとなしく腕の中に収まった。 
   そのまま少女の身体をベッドまで運び、マットレスの上に、そっと横たえる。
  「前のときも……こうやって、運んでくれたの?」
   突然、思いがけない質問をされて、ローゼンは戸惑った。
  「前って……おまえが床で寝てたときのことか? ああ……そうだよ。他に 誰がいる?」 
  「……優しい人」
   メイリーズの呟きに、ローゼンは息を呑み、唇を噛んだ。
   無表情ながら、なぜか安心しきっている様子にも見て取れる相手が、 奇妙に憎たらしく思えた。 
  「優しくなんか、ない……」
   ローゼンは、低く告げるやいなや、行動に移った。
   ベッドに飛び乗ると、自分の身体で少女を組み敷き、身動きを取れなくさせる。
   それから素早く猿ぐつわを噛ませ、さらに目隠しをして、 外れないようにきつく結ぶ。 
   両方とも、さっきタオルと共に密かに調達してきたバスローブの紐を利用した。
   メイリーズに対して、これ以上の拘束は必要なかった。彼女は華奢きゃしゃな 体形をした普通の少女であり、暴れたとしても押さえつけるのは容易たやすい。 
   猿ぐつわをしたのは、万が一にも舌を噛み切らせないため。目隠しをしたのは、 完全に自分のためだ。とても相手の目を見ながら行為を完遂する自信がないから。 
  「ん……! んんっ……!」
   メイリーズは、さすがに驚愕したのか、うめいて身をよじった。
   もしかすると、正気に戻ったのかもしれない。
   だが、今更、どちらでもいいことだ。
   ローゼンは、メイリーズを押さえ込んだまま、その身体を覆う タオルを引きいだ。
   肌理きめの細かい白い肌が、余すところなくさらされる。
   綺麗だと思った。
   けがれのない、という表現が、まさしく相応しい。
   しかし、相手の身体が綺麗であればあるほど、その純潔を踏みにじり汚す側 の罪の重さは何倍にも増して感じられる。 
   今のローゼンにとって、一点の染みもない白い肌は、目にも胸にも痛かった。
  「な? わかっただろ。俺は優しくなんかない」
   繰り返し告げると、右手で少女の首のそばに軽く触れる。相手はビクッと 肩を震わせたが、ローゼンは手を動かさなかった。指先に、確かな体温と脈が伝わってくる。 
  「聞いてくれ、メイリーズ。おまえの意思……おまえの出した結論は、国や両親の 要求を撥ねつけて死ぬことだったよな。残念ながら、その結論は俺のとは一致しなかった」 
   相手が触れられている状態に慣れたのを見計らって、ローゼンは手を下に滑らせた。
   今度は、少女は震えなかった。
  「これが、俺の意思で、俺の出した結論だ。確か、言ったはずだよな? 俺の中で 結論が出たとき、俺はおまえを犯すかもしれないって」 
   合理的に判断して言えば、もっと早くに、こうするべきだった。
   ここが至聖殿の内部であると知ったときから、答えはひとつだと、 わかっていたのに。
   わからないふりをして、現実の状況から目を背け、結論を先延ばしにしてきた。
   それは、ひとえに、自分が罪人になることを恐れたから。
   メイリーズの意思など、実は関係なかった。にもかかわらず、相手と話し合わ なければ結論は出せないとか、一人で悩んでいても始まらないとか、いつわりの思考で、ずっと自分を ごまかしてきた。最悪の汚名を背負うことが怖くて……。 
   だが、最後の最後になって、剥き出しになった自分の願望のために、 彼女の意向を無視して己の結論を押し付けようとしている。 
   相手を思いやるように見せかけて、結局は自分の都合のことしか 考えていないのだ。 
   何とも自己中心的で卑怯な男――この時点で、とっくに罪人ではないか。
  「俺は、俺自身の願望……欲望のために、おまえを抱く。たとえ一時的にルミナスの 意思に屈することになろうとも、俺は生きられる を選ぶ。その選択に、メイリーズ、おまえも 付き合ってもらう。おまえも生きるんだ……」 
   ローゼンは、首から少しずつ滑らせてきた右手で、少女の左の乳房 を包み込んだ。またしばらく動かさずに、互いの身体の熱が馴染なじむのを待つ。 
  「……おまえが自殺に向かう動機には、マリアベルやエイシアとの精神的な 共鳴が多分に含まれてるように思える。そんな不純 な動機で死ぬのは断じて認めない。いいか、確かに マリアベルは尊敬に値する行動力の持ち かもしれないが、自分の子供を置いて身投げした時点で人間と しては俺やおまえの親と同レベルなんだよ。それでも憧れて真似 するのか? エイシアは死なざるを 得なかった哀れな人間 かもしれないが、おまえは死んだとしても彼女と同等の哀れみを 受ける資格はない。なぜなら……」 
   ローゼンは、敢えて高圧的にメイリーズの選択を責め、否定した。
  「俺たちは兄妹ではなく、ただの、クラスメイトだから」
   笑えるほど自虐的な台詞だ。口に出した後で、他人事のように、そう思う。
  「二人でここを出よう。出た後は、おまえの自由だ。どうしても俺が許せないなら、 即座に殺してもいい。逃げないし、決して まない。許せなくても、命までは要らないというなら、 俺はできる限りおまえの望みを叶えるように努力 する。当然、自殺以外の望みだ。いずれにせよ、 望まない結婚はさせない。奴らがどう動こうと、俺が絶対に阻止する」 
   仮に今回のことで彼女がごもってしまえば、少し話はややこしくなるが…… 両親の思い通りに事が運ぶ展開だけは、必ず回避してみせる。 
  「それで……もしも、おまえが許してくれるなら……」
   言いかけて、ローゼンは、はっと口をつぐんだ。
   自分は、厚かましくも、いったい何を言おうとしているのだろうか。
  「……悪い。好きな男がいるのに、俺を許せるわけ、ないよな」
   その言葉に呼応して、メイリーズは、ローゼンのこれまでのあらゆる言い分に 反発するかのように、呻き声を大きくした。 
  「んんっ……! んっ! んっ……!」
   許される可能性が皆無なら、いっそ激しく恨まれたい。とことん憎まれたい。
   そのほうが罪も償いやすいだろう。
   ローゼンは、急に自暴自棄な気分に陥った。
   そのとき、視界の隅に、琥珀色の酒が入ったボトルが映った。割れたグラスを 片付けたときに、何気なくベッドの脇に押しやって、そのまま放置してあったものだ。 
   ローゼンは、つかの間メイリーズの上から 退いて、ボトルを手に取った。ふたを 開けて、びんの口から直接、きついアルコール――エセ媚薬入りの酒をあおる。 
   喉を焼く液体を、一気に胃のに流し込んでしまうと、ベッドの上に戻った。
  「どれだけ恨んでも、どういう報復をしてもいい。だから、 死ぬのだけはよせ……!」 
   強く念を押すと、ローゼンは身体を倒して、メイリーズと肌を合わせた。
   相手を無駄に怯えさせないよう、これまで慎重に進めてきた 愛撫の手を、速めていく。 
   ここまで来てしまえば、もはや言葉を紡ぐ意味はない。
   どんな御託を並べようとも、メイリーズにとって残酷な事実は 変わらないのだから。 
   ローゼンは、アルコールによって増幅された欲望に流されるがまま、 火照った肉体を、より深く少女の身体に重ねていった。