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題字

―恋人未満たちの初夜―

Chapter3

   永遠とも感じられるほどの時間、部屋は静寂に包まれていた。
   お互い一言も口を利かず、黙ったままで、どのくらいの時間が過ぎ去っただろう。
   ベッドに腰掛けたメイリーズは、ちらりと横をうかがった。
   ローゼンは相変わらず、眉間みけんに浅く皺を寄せて両目を閉じている。ショックで放心している というわけではなさそうだ。伝わってくるのは、苦悩。  
   全ての真実を告げたら、相手は迷わず運命を受け入れることを選ぶのでは ないかと思われて、メイリーズは内心怖かった。結婚か死かという選択肢を らかにしたら、その直後に犯される ことになるかもしれないとも考えていた。 
   不安で不安で仕方なかったが、真実をごまかし続けるわけにも いかないから、全部正直に説明したのだ。 
   その結果は――現在の通り。
   クラスメイトの少年は、いきなり乱暴な行動には出なかった。
   無論、黙りこくっていたところで、状況が好転するわけでもないのだが……。
  (それにしても、変わった人……)
   ローゼンと、個人的に長く会話したのは今回が初めてだ。しかし、アカデミーにおいて同じクラスに所属している以上、普段の行動は何かと目にするし、 だでさえ彼は目立つ学生である。うわさや憶測も含め、 良くも悪くも、さまざまな風評を耳にする。 
   テンペスト家は、世界争乱期に『嵐』の異名を取った大魔術士の末裔だが、 近年は血筋の持つ魔力が衰えてきて、異名など見る影もないと かれていた。ところが、そこへローゼンが 『先祖返り』として生まれてきたのだ。有り体に言って現在のテンペスト家は貧乏びんぼうなので、彼は学費が免除される 特待生としてヴェスル・アカデミーに入学した。  
   ローゼンのアカデミーでの成績は、間違いなくトップクラス。知識的な学力だけでなく実技でも非凡な才能を披露している。にもかかわらず、彼が単純 に「優等生」とは呼ばれないのは、学業以外の素行に問題があるからだという。 
   噂によると、貴族でありながらルミナスの貴族制度の在り方を批判したり、高度な魔術文明をけなしたり、揚げ句の果てに『レイリス聖典』の内容に疑問を唱えたりするなど、極めてそんな言動を 繰り返しているらしい。 すがに教室で公然と口にしているのは聞いたことがないが、 と頻繁に危険な言論を展開 しているのは確かなようだ。 
   さらに、メイリーズ自身はあまりよく理解できないのだが、学生運動という活動を 水面下で密かに主導しているとかいないとかで、その名はアカデミーのブラックリストの筆頭 に 記載されているとかいないとか。問題行動が多くても退学にならないのは、アカデミー がローゼンほど 実力のある学生を手放すのは惜しいと思っているからだという。 
   そうした風評から、メイリーズはいつもローゼンを遠目に 眺めながら、どことなく恐ろしげなイメージを抱いていた。貴族社会の人間にしては言葉遣いも に荒いし、 頭は良くても、かなりきつい性格をしているのだろう、と……。 
  (でも、別に恐い人じゃないみたい。噂だけで人を判断するのは良くないわ)
   少年の身にまとう雰囲気は基本的には大人びているが、慌てたときに見せる表情などは、 やけに子供っぽく見える。ごく普通の16歳らしい顔だ。  
  (とはいえ、どこか変わってることは確かなのよね)
   そんなことを考えながら、ついつい横顔を凝視し過ぎたのか、相手が唐突に 瞼を上げてこちらを向いた。まともに目が合ってしまう。  
  「さっきから、視線が痛いんだが……何か言いたいことでもあるのか?」
   ローゼンは、微妙に不機嫌な印象の声音で尋ねてきた。
  (前を向いて目をつぶってても、わたしが見つめてるって気づいてたの……!?)
   メイリーズはびっくりした。何と勘の鋭い人だろう。さもなければ、身体のどこかに、 もうひとつ目があるに違いない。 
  「ちょっとでも目を離して俺に隙を見せたら、襲いかかられるとでも思ってるのか?」
  「い、いいえ。そんなことは思ってないわ」
   メイリーズは金髪を振り乱しながら、首を大きく左右に振った。
   否定の言葉を必ずしも信じなかったのか、ローゼンは物憂げな顔つきになって 細く吐息を漏らした。 
  「安心しろよ。死罪を覚悟で逃げ出すにしても、奴らの思惑通り事実婚をするにしても、 心の準備が必要だ。すぐに行動を起こす気にはなれない」  
   少年の口調は硬く、強い緊張感があった。
  「ただし、完全には油断しないほうがいい。俺の中で最終的な結論が出たとき、ひょっとしたら、俺はおまえを力尽くでも犯すのかもしれない」  
  「……!?」
   突然の宣告に、メイリーズは胸を針で貫かれたような衝撃を受けて、立ち上がった。
   背筋が冷たくなり、全身がこわる。
   やっぱり、怖い――精神の奥に潜む女としての感覚が激しく警鐘を鳴らし、 解けかけていた警戒心をはっきりとよみがえらせる。 
  「ああ、こんなこと言ったら、結局おまえ、安心できないよな」
   そう言って、ローゼンは、乾いた笑い声を立てた。しかし、目は笑っていない。
  「けど、俺、嘘は嫌いなんだ。気休めの甘い台詞なんて吐ける状況じゃない。何より自分の純潔を守りたいのなら、 のうちに武器になるようなものでも探しとけよ。例えば……そうだ、 それのかどの部分なんか、殴ったら痛そうで結構いいんじゃないか?」  
  「え……? あ、これ……?」
   話の流れに戸惑いながらも、メイリーズは、ローゼンが指差した物体を手に取った。
   ベッドの上の、一冊の本。
   小さいが、立派な装丁で表紙も硬いから、鈍器として使えないことはないだろう。
  「でも……これは読むものであって、武器として使うためのものじゃ……」
   大事な宝物で人を殴るなんて、何があってもしたくない。
   メイリーズは立ったまま、本を胸元に引き寄せて抱き締めた。
   これをここに持ち込んだのは、両親……いや、突如自分を襲った無慈悲な現実に対する ささやかな抵抗だ。両親のかたくなな態度をの当たりにして、直接的な反抗は無駄だと思い知らされたから、 この方法を選んだ。 
   私物は一切持っていけないと言われたが、「心の準備を整えるために、 せめて聖典だけは……」と泣きついて、許可してもらったのだ。  
   これを抱いて死ねば、両親も社会も自分がなぜ死んだのか少しは理解してくれるのではないか――そういう発作的な思いがあった。  
   ローゼンは、胸に抱かれた一冊をじっと見つめて、ふと穏やかな調子で言った。
  「……それ、おまえにとっては、よっぽど大切なものなんだな。こんなとこにまで持ってくる くらいなんだから」 
   それを聞いて、メイリーズは本の表紙を指先ででながら答えた。
  「ええ……とても大事なものよ。結局、一番のお気に入りは、自分の部屋に隠して置いて きちゃったけど」 
  「へえ、おまえは『レイリス聖典』を一人で何冊も持ってるわけか。信仰熱心なことだ。しかし、内容はひとつのはずの聖典に、お気に入りと、そうでもないやつがあるってのは だな。しかも、どうして尊い聖典を、こそこそ隠す必要があるんだ?」  
  「えっ!? あ、そ、それは……」
   ローゼンの指摘に、メイリーズは内心ギクリとして、すくみ上がった。
  (やだ、わたし、口を滑らせて……! ど、どうしよう……)
   手にしている本が、聖典に偽装した禁書であるという事実を忘れ、うっかり自然な受け答えをしてしまった。 
  「えっと、それは……これは、つまり……」
   うまく言い抜ける方法を見つけられずに、しどろもどろになっていると、いきなりローゼンが喉を震わせ始めた。 
   ――明らかに笑っている。
  「ろ、ローゼン? あなた……」
  「そうだよなぁ、そんなの、親に見つかったら大変だろうから、しっかり隠さないといけないよなぁ」 
  「知ってるのね? これが本当は聖典じゃないって知ってて、 からかったのね!? 勝手に中身を読んだんでしょ? ひどい……意地悪……!」  
   メイリーズは、顔や首のあたりが熱くなるのを自覚しつつ、怒鳴った。
  「そう言われても……日記やエロ本の類ならともかく、見た目が聖典なら、 誰だって開くのを躊躇ったりはしないと思うんだが」 
   ローゼンの言い訳には正当性があり、メイリーズは押し黙るしかなかった。
  「からかったのは謝る。許してくれ。ただ……俺は、その偽装禁書について、 ひとつ聞きたいことがあったんだ。よかったら、教えてくれないか?」  
  「何……?」
  「どうやって入手したか」
   ローゼンの声は低く響き、どこか詰問きつもんめいて聞こえた。
  「……わたしを告発するのは自由だけど、入手先を教えるわけにはいかないわ」
   メイリーズは精一杯の虚勢を張って、きっぱりと問いをねつけた。
  「誤解するな。俺は、おまえも、おまえに禁書を渡した相手も告発する気なんかない。俺だって、 禁書にはしょっちゅう触れてるんだから」  
  「え……? あなたみたいな男の子も、こういうの読むの? ちょっとだけ、意外……」
  「ち、違う違う! 俺が読むのは、禁書は禁書でも全く別種のやつだよ。さすがに、 そういう小説は趣味の範疇外っていうか、目を通すのも痛いっていうか……」  
   少年は、メイリーズの解釈を即座に力いっぱい否定した。
  「そう……。禁書にも、いろいろあるものね。わたしが持ってるのは、 こんな感じの小説ばっかりだけど。いいわ……知りたいこと、教えてあげる」  
   ローゼンの言い分が本当かどうか、この場で確実に知るすべはない。
   だが、優等生の実力を持ちながら問題児と呼ばれる彼なら、禁書の一冊や二冊、 むしろ読んでいて当然という気もした。 
  「この本は、わたしの家が懇意にしてる外国の商人さんに特注して、 譲ってもらったの。もちろん、お父様やお母様には内緒で。うちに出入りする何人かの商人 さんとは、 個人的にも親しくしてるから、お金を払えば少しくらい無茶なお願いでも聞いてくれるのよ」 
  「なるほど。さすがは元貿易商レスティ家の令嬢。外国商人たちとのコネクションが あるってわけか。じゃあ、もしかすると、相当な数の禁書を隠し持ってるんじゃないか?」  
  「え、ええ。そこまで大量でもないけれど、二十冊以上は……」
  「二十冊も!? うーん、やるなぁ、おまえ。本気で侮れない……」
   ローゼンは感嘆のこもった声音で、うなるように言った。
  「外国商人と親しくしてるってことは、きっと外国の話なんかも直接聞けるんだろうな。 うらやましいよ」 
   メイリーズに向けられた眼差まなざしには、確かに羨望が込められていた。
  「……なあ、メイリーズ。おまえはどうして、そんな作り物の小説が好きなんだ?」
  「……? どういう意味?」
   急に話題をずらされて、メイリーズは困惑した。
  「いや、簡単に禁書を買える立場に恵まれてるのなら、もっと他に読むべき何かが あるんじゃないかと思って」 
   責めるような、たしなめるような、あるいは少し呆れたような、 微妙な負のニュアンスが含まれた台詞。 
   それは、小さな、しかし鋭い刺となって、メイリーズの心を 引っいた。  
  「何よ。わたしの趣味を馬鹿にするつもりなの?」
   思わず、きつい口調で言い返してしまう。
  「そんなつもりはない。ちょっと疑問を覚えただけだ。現実と掛け離れた虚構を読んで、 何か人生に役立つのか、おまえは本当に楽しいのか……」  
  (そんなつもりはない、とか言って、やっぱり遠回しに馬鹿にしてるんじゃない!)
   頭にきたメイリーズは、座っているローゼンを見下ろすようににらみつけた。
  「楽しいか、ですって? 楽しいわよ。楽しいに決まってる。本を読んでいるときだけ、 わたしは全ての現実から解放されるんだから。こういう小説は、暗く冷たくよどんだ現実 を忘れさせてくれる、 最高に素晴らしい薬なの。これがないと、もう生きていけない」  
  「生きていけない? まるで依存症だな。ほんの一時、空想の世界に逃れられても、 本を閉じたとき、むなしさに襲われるんだろ。そんなことの 繰り返しに意義があるのか?」  
   メイリーズの感情のたかぶりに触発されたのか、ローゼンの口調もとがったものになった。
  「現実から目を逸らしても、何も変わらない。虚構なんかに逃避する前に、 よどんだ現実を変えてみようとは思わないのか? いくら恋愛小説を読みあさったところで、自由な恋愛ができる社会は 決して実現しないんだ」 
  「わかってるわよ、そんなこと! だけど、もっとわかりきってることがある。 それは、現実を変える力なんて、わたしにはないってことよ!」  
   メイリーズは、声高く切り返した。
  「変える力がない? 最初からあきらめてるのか? 甘ったるい夢の世界 にひたってるうちに、 骨抜きになったんだな」 
   今や、少年は軽蔑心をあらわにしていた。
  「まあ、金持ちの家の深窓のご令嬢にはお似合いか。せいぜい一生仮想の恋愛に うつつを抜かしてろよ。どうせ現実には好きな男もいないんだろ」 
  「いるわよ!」
   メイリーズは間髪かんはつれず絶叫した。
  「え……いるのか?」
   ローゼンは、明らかにひるんだ様子を見せた。
   メイリーズは、その反応に気を良くして、たたみかけるように続けた。
  「いるわ。もう16なんだもの、いないほうがおかしいでしょ? あなたと 同じくらい頭が良くて、あなたよりもずっと格好良くて、あなたの百倍は性格の良い人よ」  
   さらに、勢いに任せて反撃の台詞をぶつける。
  「ローゼン……あなたはわたしのことを骨抜きだって責めたけれど、じゃあ、 あなたにはどれほどの力があるっていうの? あなたには、現実を変える力があるの?」  
  「俺は……現実を変えたいと願って、自分なりに努力はしてるつもりだ。たとえ 少しずつでも、近いうちに、必ず今の現実を……ルミナスを変えてみせる」  
   少年は言葉こそ言い切ったものの、その声音には今ひとつ覇気はきがなかった。
  「笑わせないで! 『自分なりに努力してる』? それこそ無駄な努力よ。あなた、 現在自分がどういう状況下に置かれているのか忘れてるみたいね。ルミナスという巨大 な国の意思に絡め取られて、 身動きひとつ取れずにいるのよ。情けない虜囚 の身で、『ルミナスを変えてみせる』なんて、 よく言えるものだわ。 このとき自分を取り巻く、狭い現実すら変えられないくせに……!」 
   メイリーズは、受けた軽蔑を倍返しにするつもりで、まくし立てた。
  「2000年間続いてきた国や文化の枠組みを、個人の力で崩せる? 真の現実を見ないで、 甘ったるい夢に浸っているのはあなたのほう。 たしの好きな人は至ってまともだから、妄想癖もうそうへきもないし、 自分にできもしない大言壮語は吐かないわ!」 
   口から次々に飛び出す悪罵あくばの勢いは止まらない。とうとうメイリーズは、 とどめとなる決定的な一言を発した。 
  「革命家気取りの夢想家なんか、大っ嫌い! あなたみたいな人に犯されるくらいなら、 迷わず死んでやる!!」 
  「――!」
   その瞬間、ローゼンは顔色を変えて、はじかれたように立ち上がった。
   メイリーズは、ほとんど反射的に数歩後退あとずさり、壁に背をつけた。
  (お、怒らせた……?)
   気分を害した相手によって、今度こそ手荒に扱われることをメイリーズは覚悟した。
   しかし――
  「……そうだよな。こんなざまで、どれだけ偉そうなこと言ったって、 説得力があるわけない。おまえの言う通りだ。俺には……おまえを見下す資格なんかない」  
   ローゼンは、喘ぐように苦しげに告げると、脱力して再びベッドに沈み込んだ。
   古い木やマットレスのきしむ耳障りな音が部屋に響く。
   その音の中に、相手の心から発せられる音も交じっているような気がした。
  (わたし……彼を……傷つけたのね……)
   我に返ったメイリーズは、自分がどんなにひどいことを言ったのか認識した。
   けれども今更、吐いた言葉をなかったことにはできない。
   言い過ぎたと思う一方で、素直に謝る気にもなれず、 メイリーズは相手から顔をそむけるしかなかった。 
  「しばらく……近寄らないで」
   そう言い捨てると、メイリーズは部屋の片隅に座り込んで、壁にもたれた。身体に巻きつけて あった毛布をはずして、頭の上からかぶり、ほぼ全身を覆う。 
   そして、無理にでも外界から意識を遮断しようと、固く目を閉じた。


   ベッドに座ったままのローゼンは、部屋の隅に目を向けて、重い吐息を漏らした。
   毛布をかぶってうずくまってしまった少女は、もはや動こうともしない。
  (俺が……悪いんだよな……)
   口論のきっかけをつくってしまったのは自分のほうだ。
   外国商人たちと個人的に接触でき、そのうえ偽装禁書を特注できるほどの金銭を使える というメイリーズ。ある意味で恵まれた環境にいる彼女をねたむ気持ちが、知らず識らずのうちに芽生えて、それが態度に 出てしまった。 
   恋愛小説を大事そうにしていることからして、メイリーズが自由恋愛か、 あるいは自由に恋愛ができるような世界に憧れていることは間違いない。 
   自由に生きられる社会に憧れているのは自分も同じ。
   だからこそ、相似形の理想を抱いているにもかかわらず、現実から逃げて虚構に溺れている様子の少女に対して、怒りに似た感情を覚えた。 
   ――有り余る金と貴重な立場を生かさず、刹那の夢を買い求めることにのみ利用している。 
   メイリーズの行為を、そんなふうに単純に解釈して、軽蔑心さえ抱いた。
   妬み、怒り、軽蔑――明確に認識しないで生じていた感情とはいえ、今になって 考えてみると、全て理不尽な矛先である。 
   いくら金持ちで、欲しい物を何でも変えるとしても、娘をこんな場所に送り込むような 親と暮らしているのでは幸せなはずもない。アカデミーで高度な教育 を受けても、貴族の女性の働き口など無いに等しい 現状では、親に頼らず生きていくこともできない。 
   客観的に判断して、メイリーズが己の意思を表立って主張できる機会は、 現在にも将来にも見出せないのだ。そんな境遇の相手を妬むのは、どうかしている。 
   おそらく、彼女は極めて現実的に、現実への反抗が不可能だと悟っているのだろう。
   現実を正確に見据え、シビアに受け止めているがゆえに、絶望してしまったのか。
   絶望に引き裂かれる心を癒すために、一時でも理想の夢をもたらす薬が必要なのか。
   メイリーズこそが、本物の現実主義者? では自分は、いったい何なのか……?
  『革命家気取りの夢想家なんて、大っ嫌い!』――彼女は、そう叫んだ。
  (俺が……夢想家……?)
   その通りなのかもしれない。
   メイリーズの可憐かれんな唇から溢れ出した言葉の数々は、どんな魔術や武器にも 勝る凶器となって、ローゼンの胸をえぐった。 
   言葉の凶器がそれほどの威力を持ったのは、何よりもローゼン自身がその内容の大半を事実として認め、受け入れたから。 論武装し直して反撃するどころか、防御する気さえも起きなかった 
   これまで自分の守ってきた信念、理想を叶えるには行動あるのみという価値観が、 その一部分でも大きく揺さぶられたのだ。 
   現実主義者を自負する人間が、夢想家の人間を見下す。ありがちなパターン。だが――
  (俺とメイリーズ……本当のところ、どっちがどっちだ……?)
   よくわからなくなってきた。
   ローゼンは、出口のない部屋の中で、出口のない混乱の渦に巻き込まれた。
   答えの見つからない問いが、頭の内側で空回りし続ける。心のどこかでは、意味のない 思考だと感じつつも、他のことを考えられない。それもまた、混乱の証拠。 
   沈鬱な精神状態は、ローゼンの耳が部屋の外からの呼びかけをとらえるときまで続いた。