シ ウ   シ   イー   シャ
題字

―シャドウ・ジハード特別編―

8. (ユエ)(シャ)(ミー)(ゾウ)  錯綜(さくそう)する三者(さんしゃ)三様(さんよう)の思考

 (チュン)(ミン)は探していた――自分の祖父を。
  亮飯店からさほど離れていないところに、一本の小川が流れている。その川の両脇では、何本もの緑の(やなぎ)が、風に葉を揺らしていた。
 小川に沿って伸びている(がい)()は、その柳並木の美しさから、(チン)(ツォイ)(ルー)と呼ばれている。
 この街に住む人々は、その何とも言えない風情(ふぜい)()でながら、のんびりと柳の下を歩くことを好む。それは春明の祖父とて例外ではない。 
  翠路は、祖父のお気に入りの散歩コースになっていた。 
(絶対、この(あた)りにいるはずなんだけど……どこまで歩いていっちゃったのかしら?)
  店を出た春明は、いったんジェシスと別れ、祖父の捜索を開始したのだった。
  フィシエに飲ませる薬湯を煎じてから、夜の散歩に出かけてしまった祖父を……。
  の散歩は、一年ほど前から祖父が始めた、少々困りものの日課だ。老後の体力作りという名目(めいもく)で、ふらりと外に出ては、いつも何時間も帰ってこない。
 おじいちゃん! お願いだから、早く見つかって……!)
 焼けつくような(あせ)りに胸を支配されながら、春明は(チン)(ツォイ)(ルー)を駆けた。
 黒龍の指示に(そむ)く行動をしているところを、天兵(なかま)()(とが)められないように祈りながら。
  ェシスとソフィシエを安全に島の外に逃がすには、祖父の協力が必要不可欠だ。
  の天華は、大海に囲まれた島国。脱出するには、船を使うしかない。
  れも、それなりの設備を持ち、速度を出せる船でなければならない。ボートのような小船で外洋に()ぎ出したりしたら、たちまちのうちに遭難(そうなん)する。
  かし、多数の立派な船が停泊する港は、黒龍たちによって厳重封鎖されていると見て間違いない。天兵の監視の目を盗んで、船に乗り込むというのは不可能だろう。 
  もそも、夜間、無人で海に浮かんでいる船に逃げ込んでも無駄だ。船乗りがいなければ、大きな船は動かせない。 
 そこで春明は、祖父の協力を頼みの(つな)として、脱出策を考案したのである。
 祖父は、小型の船を一隻(いっせき)、私有している。
 どれほど小さくても、祖父の能力があれば、外海での航行にも()える。
 天華からそのまま北大陸まで辿(たど)り着くのはさすがに無理だと思われるが、祖父ならどうにかしてくれるだろう。 
  だ、春明の知る限り、その船は、ここ数年間使用されていない。街の北側の(せま)()り江に、長いこと放置されているはずだ。 
 まともに使えるようにするには、多少の点検と手入れが()るかもしれない。
  のために必要な時間を考えると、とにかく急いで祖父に会わなければならないことは確かだった。一刻も早く会って、自分の願いを伝えないと―― 
(おじいちゃん、きっとびっくり(ぎょう)(てん)するわ……)
 出来の悪い子供であった自分を、唯一(ゆいいつ)保護し、育ててくれた家族――優しい祖父。
 だが、いくら孫娘に甘いといっても、彼も()一族の人間であることに変わりはない。
 それに、おじいちゃんだって、昔は……)
 協力を要請したところで、すんなり受諾(じゅだく)してもらえるとは思えなかった。
  れでも、何としても説得は成功させるつもりだ。
 脅迫でも懐柔(かいじゅう)でも泣き落としでも、何でもやってやる。それらが通用するような(なま)(ぬる)い相手ではないという事実は、この際、頭から締め出そう。 
 祖父不孝と(そし)られようと、(おろ)か者と(ののし)られようと、構うものか!
 世にも(ばち)()たりな決心をしたとき、春明は視界の片隅に見覚えのある後ろ姿を(とら)えた。
(あわ)い月明かりの下でも、長年共に暮らしている家族は(ひと)()でわかる。
 おじいちゃん!! やっと、見つけた……!」
  明は荒い呼吸の合間に叫んで、祖父の背中に駆け寄った。


 ジェシスは走っていた――北の(みさき)を目指して。
  こに向かうよう指示したのは春明だが、現在、彼女は別行動をとっている。
 迷わず岬に辿り着くために、春明が()(わた)してくれた、この街の詳しい地図。そこには、目標地点までの『最も危険性が低いであろう経路(ルート)』が(しる)されている。
  出策を説明した際、彼女が自分で地図上に書き込んだのだ。
  際に危険性が低いと考えるには、春明のことを全面的に信用する必要があったが――天華を初めて訪れたジェシスは、当然ながら周辺の地理に明るくない。 ずれにせよ地図に頼らなければ、目的地に着くことなど不可能だ。 
  れに、もはやジェシスは、こちらを助けようとする春明の意思そのものを疑うつもりはなかった。ゆえに、素直に地図に従って進んでいく。  
  のなかには、眠ったままのソフィシエがいる。方術により不可視の状態になった少女の胴の部分には、目に見える布を巻きつけ、(むす)び目を作ってある。
 あたかも大きな荷物を(かか)えているかのように見せるための偽装だ。何かを(ささ)げ持つような格好(かっこう)が、他人の目に不自然に見えないようにと、出掛(でが)けに春明が(ほどこ)した処置である。
 ジェシスはついでに、脇腹にベルトで()って隠し持っていた短剣を、偽装の布の下に移しておいた。不意の襲撃に(そな)えるには、このほうがいい。
 春明が対応する術をかけてくれたので、ジェシスには、布からはみ出た(・・・・)少女の顔も手足も見える。ただし普通の見え方ではない。 こかぼんやりしている。それでいて、ソフィシエだけ周囲の空間から切り離された存在であるかのように、浮き上がって見えるのだ。  
(やっぱ(わけ)のわからねえ力だよな……魔術ってのは)
  術を見るのはこれが初めてではないが、いつ見ても不思議だ。畏怖すべき力で、便利な技術でもある、ということは認める。だが、どうにも自分は馴染(なじ)めない。
 魔術士に対する(ねた)みなどは持ち合わせていなくても、そんなふうに感じてしまうのは、やはり機械大国(サーヴェクト)で生まれ育った身だからか。
 隣国の魔法大国(ルミナス)との因縁(いんねん)は、長年に渡り悲劇と憎悪を生み出し続けながら、いまだ国民の心に浅からず根付(ねづ)いている。
  れでも今このとき、魔術はソフィシエを守る救いの手段として機能しているのだ。
この力が、この世界に存在していることに、(おお)いに感謝してもいいだろう。
  器にしても魔術にしても……それそのものに罪はない。
(そいつは(つね)に、使用する人間の側にある……)
 腕に抱いた少女を見下(みお)ろし、そんなことを考えながら、ジェシスは走り続けた。 
  店を出てから、路地を駆け抜け、橋を渡り、歓楽街をすり抜け、大通りを横切った。
  がて、街の中心部から遠ざかり、人の姿が次第にまばらになっていく。
  民の小さな家が立ち並ぶ住宅地に差し掛かった。
 地図によると、北の岬までの道程(みちのり)は、そろそろ残すところ半分になる。
  こまでは無事に来られた。けれども油断はできない。
  明は、ジェシスに対して断言した。 
  かに多人数で包囲網を展開したとしても、この街は広い。必ず抜け道はある、と。
  かし一方で彼女は、こういう忠告もしたのだ。
  れだけ注意して経路を選び、警戒しながら進んでも、一度も天兵と接触することなく岬に着くのは困難だろう、と。 
  兵たちによって捕えられたら、待っているのは――死だ。
 ジェシスは一時(いっとき)も休息することなく、ひたすら夜の街を駆け抜けた。
 長く走っているうち、ソフィシエの身体が自分にとって、ほとんど負荷(ふか)にならないことに気づき、そして驚く。 
 ―軽すぎる。
(昨日まで、ろくに(めし)も食ってなかったんだから、無理もねえが……)
 (まぶた)を閉じたままの顔。ぐったりとした身体。
  ぜか急に恐ろしくなって、ジェシスはソフィシエを抱く腕に力を込めた。
 眠っているだけだというのは承知している。彼女の身体は(あたた)かい。
  が――
 白く()えた月光に照らされた静かな寝姿は、どうしようもなく死を連想させる。自分の不吉な連想が、彼女の運命を暗示しているかのようで、ますます怖くなる。  
 月の女神は、自らを信仰する天華の民に味方し、復讐を()げさせようとしているのではないだろうか…… 
(いや、違う! こいつを死地(しち)へ突き落とそうとしてるのは女神じゃねえ。この俺だ)
 実在も(さだ)かでない女神に責任を(てん)()するのは、あまりに虫がよすぎる。 
  の世に決められた運命などない。
  るのは、人の選択と決定だけだ。
(俺は、判断を(あやま)った……)
 ソフィシエは正確に危険を認知し、あれほど強情(ごうじょう)に天華から離れようとしていたのに。
 私のおせっかいが、彼女の窮地を招いた……』
  明はそう言ったが、現在の状況を、どうして彼女のせいばかりにできよう?
 最初に判断を誤ったのは自分。『おせっかい』を嬉々(きき)として受け入れたのも自分。 
 確かに、ソフィシエの心と身体は、自分の(もく)()み通りに回復した。しかし、それと引き換えに命が奪われるのだとしたら、本末転倒もいいところだ。 
 ……そんなことはさせねえ! ソフィシエ……おまえは、俺が守る)
  実として、今ソフィシエを守れるのはジェシスだけだ。 
 ここは母国から大海を(へだ)てた異国なのだ。助けを求められる人間はいない。
  ずかに二人、シュリとキアラという仲間がいるが、あの二人は情報部所属の諜報員で戦闘は専門外だ。何より、 んな事態に巻き込むわけにはいかなかった。最悪、彼女たちまで素性がバレて、捕えられてしまう可能性がある。 
 春明は、祖父を見つけたらこちらの(あと)を追い、ソフィシエを守るのに手を貸すと言ってくれた。その言葉に敢えて()(とな)えなかったものの、できれば彼女には追いついて欲しくないとも思う。 分たちと一緒に港とは別の方向に行こうとしているところを、天兵たちに目撃されたら、彼女の裏切りは決定的なものとなるからだ。 
 誰にも頼れなくても、こいつは、俺の手で守り抜く。俺の命に代えても……)
  ってやる、ではなく、守りたい。どうか守らせて欲しい。
 そうでないと、選択と決定を間違えた者としての責任(・・・・・・・・・・・・・・・・・)をとることができない!
  たり前の決意を固めたとき、ジェシスは意識の片隅で、異変を感知して足を止めた。 
 静まり返った夜の向こうから、一瞬(ただよ)う、()(おん)な空気。
  ―殺気だ。
 厳密には、それに(るい)する気配。『敵の存在感』とでも言うべきもの。
 ジェシスは、くるりと(きびす)を返した。気配とは反対の方向に、猛然(もうぜん)と駆け出す。
  後……比較的遠くのほうで、ざわめきがした。 
  ―複数の人間の足音。
  の周辺はまだ住宅地である。前方に十字路が見えた。特に何も考えず、左に折れる。
(ジャン)(ジュ)!!」
  声めいた叫び声が聞こえた。
 待てと言われて待つ奴がいるか!)
 走る勢いは(ゆる)めない。後方からは、かすかな足音と息遣(いきづか)いがついてくる。
 次の曲がり(かど)を、今度は右に折れる。
 すると偶然、木々の()(しげ)る広い庭のような場所が目に入った。
 ここなら……!)
 ジェシスは、道よりも一段階()い闇に包まれているその場所に、迷わず駆け込んだ。
  らりと後ろを確認する。追跡者たちは、まだ現れていない。
 ソフィシエの身体に巻いてある布の結び目を(ほど)き、素早く取り去る。
  の下に置いてあった短剣を握り、他人の目には見えないであろう少女の身体を低木の植え込みの間に横たえる。 
  れで、とりあえず見つかる心配はないだろう。
 最初から、追ってくる気配を振り切れるとは思っていない。この場で(むか)()つ。
  ったん逃げたのは、よりソフィシエの安全を確保するため、隠し場所を探したかったからだ。  
  っと周囲を見回してみる。ほぼ満ちた月が出ていて、両目はすでに夜の暗さに慣れているので、さほど視界は悪くない。 
  ったよりも、ずっと奥行きのある広い空間だ。
 木の下に据えられたベンチ。人工のものらしき川と池。天華風の意匠の四阿(あずまや)
 ここはどうやら、個人の庭というよりは、公園のようだった。昼間なら住民の(いこ)いの場なのだろうが、今はひっそりとして、見える範囲に人の姿はない。 
  、そこへ足音がやって来た。
 ジェシスは振り返って、短剣を鞘(さや)から抜いた。
(ター)(ヅァイ)()()! (チン)(ダー)(ジャ)(ライ)! (クァイ)(ライ)()!!」
  人の声に呼応して、気配が集まってくる。おそらく一時ジェシスの姿を見失い、分散して探していたのだろう。 
  ェシスの眼前に、追跡者たちが姿を現した。
  数は……全部で五人。顔立ちまではよく見えないが、男も女もいるようだ。
 観光客狙いの物取りや、酔ったチンピラという風情ではない。そんな(やから)が、こんな住宅地をうろつくはずもない。 
 五人が(まと)う雰囲気は、あからさまに暴力的ではないが、内に冷たく()()まされた鋭さを(はら)んでいる。
 この切れるような敵意――疑うまでもなく(ティエン)(ビン)だ。
 何だ? 俺に、何か用か?」 
  ざとらしく尋ねてみる。 
 すると、相手のうちの一人が、手に持っていたランタンのような(あか)りを掲げ、こちらにかざした。 
 少し(まぶ)しくて、ジェシスは目を細める。  
 ……貴様、【プリサイス・ストレイ・バレッツ】のエージェントだな?」
 若い男の声が、流暢(りゅうちょう)な北大陸言語で問い返してきた。天兵たちには、かなり外国語教育が行き届いているようだ。それだけでも、影の兵士としての優秀さが(うかが)える。
 さあな。そうとは限らねえが」
 本気で言い(のが)れるつもりもなく、ジェシスはしらばくれた。
「この男、本当に黒龍(ヘイロン)様が逃がすなと命じた敵なの? 女のほうが見当たらないけど」
  い女の声が、やや不安げに響いた。
 その言葉を(かわ)切りに、五人の男女は、それぞれ喋り始めた。
 そうだな……。注意すべきは、若い外国人の二人連れだと聞いていたが」
「それより、さっきの伝令(でんれい)では、黒龍様が西の港で直接、捕縛にあたられると……」
凛霞(リンシャ)様が誘導に失敗された可能性もあるだろう」
「こいつ、我々(われわれ)の目を(くら)まそうと、女とは別々に逃げようとしているんじゃないか?」
  人とも北大陸言語を使用している。天華語で話そうがカヌディ語で話そうが、どうせ内容は(つつ)()けだと割り切っているに違いない。
 こちらの語学力に対する(おお)いなる誤解だが、会話が聞き取れるのは都合が良かった。
「この男は我々が接近しようとした途端、(はじ)かれたように逃げ出した。間違いなかろう」
 武器を手に待ち受けてるくらいだから、きっと本物よ」
「そうね……。別人にしては、外見的な特徴が情報と(がっ)()しすぎてるものね」
「年齢十代後半、黒髪黒瞳(くろかみこくどう)だが北大陸人らしき顔立ち。目つきが鋭く、虚勢(きょせい)で他人を威圧する不良のごとき風貌(ふうぼう)をしている、か。なるほど確かに、近くで見れば、ますます情報の人物像に当てはまるな」 
 やかましい!! 俺だって、好きでこんな顔に生まれついたわけじゃねえ!)
  ェシスは心のなかで絶叫した。
(黒龍とかいう男……いったい、どういう人相(にんそう)の伝え方したんだよ? どうやら好き放題言いやがったようだな。いけ()かねえ野郎だ……)
  った今相手が口にした内容が、自分の外見を限りなく的確に表現しているとは、どうしても認めたくないジェシスであった。 
 それにしても、童女のごとき容貌をした女というのは、どこへ消えたのかしら?」
 黒龍様は、特に女のほうを逃がすなと言っておられたのに」
 そう言えばこいつ、さっき何か大きな包みを抱えているようだったが……」
 おい貴様、どこへ隠した!?」
 大きな包み? そんなもん、持ち歩いてた覚えはねえな」
 相手の詰問(きつもん)に、ジェシスは小さく肩を(すく)めた。
「嘘を()かせ!」
 ねえ、でも、見た感じ、中身が人間っていう大きさでもなかったわよ?」
 それもそうか……」
「だが、この男が仲間の女の(ゆく)()を知らないはずはあるまい」
「捕らえて、無理やりにでも()かせれば済むことだ」
「ええ、そうしましょう。女は()()りにしろという命令だけど、男は我々がどのように扱ってもいいらしいから」 
「こいつは忌々(いまいま)しきPSBのエージェント!」
「心ゆくまで復讐を果たす機会が、ようやく(めぐ)ってきたぞ」
 これも月亮娘娘のお導きね……」
 五人は、口々に(ささや)き合う。その(こわ)()は、粘着質(ねんちゃくしつ)陰湿(いんしつ)な喜びに満ち(あふ)れている。
 ジェシスはゾクリと背中が(あわ)()つのを感じた。
(こいつら……PSB(うち)に何か特別な恨みでもあんのか?)
 個人対個人の怨恨(えんこん)には(とど)まらないような、深くて強い()の感情が(ただよ)ってくる。
  かし、頭をひねってみても、所属組織が天兵たちに恨みを買った原因など、推測すらできなかった。どうも気になるが、面と向かって尋ねてみたところで、相手を激昂(げっこう)させるだけだろう。()めておいたほうが()(なん)だ。
  兵の一人が、やおら一歩前に出て問い掛けてきた。
 仲間の女が今どこにいるのか、素直に教える気はあるか?」
「教えようが教えまいが、おまえら、どうせ俺を(なぶ)るつもりだろう?」
 ジェシスは、短剣を(かま)えて臨戦体勢をとった。
 目の前の相手を、それから他の四人を、順番に()めつける。
「俺には、(あま)んじて集団リンチを受ける趣味はねえ!!」
 言い(はな)った瞬間、五人の天兵はいっせいに動いた。
 ある者はジェシスのように短剣を握り、ある者は打撃武器を装着済みの(こぶし)を鳴らす。
 またある者は、何やら折れ曲がった(ぼう)のようなものを両手に持った。  
 ありゃ何ていうんだったか……。『ヌンチャク』……だったっけか?) 
  大陸では一般的でない、天華独特のものだ。
  兵たちは、おのおの自分の得意とする武器を手にしているのだろう。
  れに対し、ジェシスは自分の最も得意とする武器を現在所持していなかった。
  を守るための道具は、唯一、細身の短剣だけ。
 戦闘が(しょう)じるとは予期しなかったため、武装らしい武装はしてこなかった。
  もそもジェシスの愛用する武器は、余程の任務でない限り、国内からの持ち出し許可が下りない代物(しろもの)なのだ。
 ジェシスにとって、白兵戦(はくへいせん)の実戦にまともに(のぞ)むのは、実に四年ぶりのこと。
  体絶命の状況――しかし、彼は全く悲観しなかった。
身体(からだ)(にぶ)ってねえってこと、自分で確かめる好機だな……)
「……『国家守護者(ステイト・ガーディアン)』を、なめんじゃねえぞ」
 低く(つぶや)くと、ジェシスは自分を取り囲む天兵の一人に向かって、(すべ)るように(しっ)()した。


 黒龍(ヘイロン)(いら)()っていた――春明が現れないことに。
 本当に遅いな。奴らをおびき出せと命じただけなのに、何を手間取っている?)
  こは、天華島の西の港。
 (おも)に北大陸と南大陸からやって来る人々を迎える玄関口(げんかんぐち)だ。
  大陸で最東端に位置する国のひとつ、サーヴェクトとの間を結ぶ定期船も、毎日ここに入港し、ここから出港している。 
  期船は、交易商人や観光客にとって、天華を訪れるための重要な足である。しかし、善良な旅行者たちに交じって、たまに()むべきネズミが紛れ込むことがあった。
 そのネズミどもを逃がさぬよう、現在、港には厳重な監視・封鎖態勢を()いてある。
 春明が何か適当な(えさ)で釣って、誘導してきさえすれば、確実に捕えることができる。 
 なのに、肝心の春明が、いつまで()っても現れないのだ。
 黒龍様! ただいま戻りました」
 海の(そば)にたたずむ黒龍の(もと)に、一人の天兵が駆け寄った。
  明の様子が気になったため、先刻、月亮飯店に向かわせた人員である。
 飯店に着いたら春明を呼び出し、『早く行動に移れ』と催促(さいそく)するように命じてあった。
凛霞(リンシャ)はどうしていた?」
 黒龍が()くと、相手はなぜか口ごもった。
 そ、それが……」
 どうした? 何かあったのか?」
 り、凛霞様は、すでに飯店にはおられませんでした」
 何だと!?」
  龍は思わず大声を出した。相手の天兵が、ビクリと身を震わせる。
 よく探したんだろうな?」
「は、はい! 飯店の主人であられる()(ラオ)がご不在だったため、従業員に話を通し、(おそ)れながら少々強引に…… 
 奴らは? 俺の言ったような男と娘の姿はあったか?」
「いえ、飯店の宿帳(やどちょう)を見ますと、それらしい名前は確かに(しる)されていましたが……部屋に入ってみても、もぬけの(から)でした。食堂その他の場所にも、姿は見えませんでした。(ほか)の宿泊客がいる部屋も、念のためにひとつひとつ確かめましたが、やはりいません!」 
 ……飯店から港に至るまでの道には?」
 この私が往復する過程では、凛霞様と二人の『国家守護者』のいずれも見当たりませんでした。現在、人員の一部を()いて、複数の経路を確認中です。どうか今しばらくお待ちください」 
 わかった。ご苦労だったな。持ち場に戻って、周囲の監視を続けろ」
 はい!」
 黒龍が(ねぎら)いの言葉を掛けると、天兵は(うなず)いて駆けていった。
(春明が、飯店にいない? こちらに向かっている最中(さいちゅう)でもないとしたら……)
  ったい、どこに行ったというのか? 
  定外の状況が発生しつつある――あるいはとっくに発生している――ということを、黒龍は(さと)った。
 しかし、驚愕して取り乱すような真似(まね)はしない。あくまで冷静に、状況の示す可能性について考えを巡らせる。  
(春明め……下手(へた)なことを口にして、素性を気取(けど)られたのではあるまいな?) 
 港へ連れ出そうとする途中で失言をして、相手の二人の警戒心を(あお)ってしまったのではないか。それで逃げられてしまい、そんな失態(しったい)を責められるのが怖くて、自分もどこかへ雲隠(くもがく)れしたのではないだろうか。
 ――あの春明ならば、あり()る話だ。
 幼い()(ぶん)から、ぐずで泣き虫で要領の悪い娘。李一族の一員として生まれながら、ろくに方術を(つむ)ぐこともできない『出来損ない』。それゆえ、母親には見捨てられるどころか、『産んだのが(あやま)ち』として消されそうになったことさえある。 
 昔は、この自分が(ささ)えてやらないと、何一つまともにできなかった。
 (そば)にいて(かば)ってやらないと、この世に存在し続けることすら危うかった。
  齢的に成長するにつれ、多少はしっかりし、自分の足で立てるようにはなったものの……根本的な部分は、たいして変わっていない。 
  ろまで、弱虫で、天兵としてもあらゆる能力が最低だ。
  年前、狠毒娘娘と交戦したときも、逃げ遅れて一人だけ捕まった揚げ句、体中に傷をつけられて、おめおめと生きて帰ってきた。 
 当然ながら、一族からは非難と()(とう)が集中した。だがまあ、この(けん)に関しては、自分は()めてやってもいいと思っている。 る程度の苦痛に耐えて生還しただけで、春明にしてはよくやったほうだ。 
 それに二年前、一族の非難と罵倒を()びたのは、何も春明ばかりではない……。
 思い出すたびに、怒りと憎しみを(あら)たにする。
 ……狠毒娘娘!! どこへ逃げようとも、必ず追い詰めてやる。この島から、生きて出られると思うな……)   
  明がおびき出すのに失敗したのだとしても、捕えるのにそれほどの時間は要しないだろう。奴らが潜伏していそうな場所を、しらみ(つぶ)しに捜索していけばいい。
  の天華は、どの大陸からも離れた、いわば絶海の孤島。
  げるには、どうしても船を使うしかない。そして、船のある場所は限られている。
  こを全て封鎖してしまえば、どこにも抜け道など――
 ……船?)
 不意に、ひとつの記憶が脳裏に浮上し、黒龍ははっ(・・)とした。
凶虎老(ションフウラオ)は、確か船を持っていたはず……) 
 あの老人は海釣りが趣味で、その昔、大枚(たいまい)をはたいて小型の船を購入したのだった。
  と言っても、自分が子供の頃のことだから、十年余り前のことだ。購入した当初は、この街の北の岬の(おき)辺りに出て、日がな一日釣りをしていた。あの周辺は、特別魚がよく釣れる穴場なのだ。 
 老人の所有する船は、岬の脇に隠すようにして繋留(けいりゅう)されていたはずだが―― 
 今も、そこにあるのか……?)
 しかし、岬の脇など、どう考えても長期間船を繋留するには不適切だ。(あらし)が通って、波が荒れたとき、船体が損傷するのは(まぬが)れない。 
(どこか別の場所に保管されていると考えるのが()(とう)だな……) 
 自分も幼い頃は春明と共にこの港街で暮らしていたが、今や生活の拠点を内陸部の(みやこ)に移して(ひさ)しい。ここを離れた後も、春明とは仕事の都合でたびたび顔を合わせていたが、あの老人とは、かれこれ十年近く会っていないような気がする。  
  分は、あの老人の近況を知らない。まして、釣り船が今どこにあるかなど、知るはずもない。正確には、移動させたのか、させていないのかも断定できない。  
  が、売ったり壊したりしていない限り、今も船を持っていることは確かだった。
 気になるな……)
 その事実と、現在の状況とを()らし合わせてみると、どうにも引っ掛かる。
 さっきの報告のなかに、『飯店の主人であられる李老がご不在』という(くだり)があった。
  虎老、春明、そして二匹のネズミども……この四人が、同じ時間帯に飯店から消えたという状況。それは、自分の単純な想像を超えた事態が現実に生じたことを、(あん)に示しているのではないか…… 
 まさか奴ら……春明を利用して、凶虎老を動かしているのでは……!?)
  明のせいにしろ何にしろ、ネズミどもがこちらの行動に気づいてしまったと仮定しての話だ。 分たちが捕縛されようとしていることを察知したのなら、奴らはどうにかして逃れようとあがくだろう。 
 (きゅう)()猫を()む――追い詰められたネズミは、何をしでかすかわからない。
  から脱出するためなら、手段を選ばないはずだ。
  とより、あの狠毒娘娘なら――
 春明を逆に捕えて、脱出用の船を用意するよう要求するということもあり得る)
 凶虎老は、孫娘の春明を可愛(かわい)がっている。あの老人……本来なら、何者に脅迫されようとも動じるとは思えないが、春明が人質に取られたとしたら見捨てはしないだろう。 
  や、しかし……孫娘の命よりも、やはり李一族としての責務のほうを優先させ、要求を断る可能性もないわけではない。 
  しも……万が一、この仮定が真実だったとしたら……!
 春明の身が危ない)
 そう考えた途端、黒龍は理性では制御できない衝動(しょうどう)()られた。
 突然、無言のまま足早(あしばや)に歩き始めた黒龍を見て、近くにいた天兵の一人が尋ねる。  
 黒龍様、どちらへ?」
 ……俺はしばらく港を離れる」
 立ち止まりもせずに答える黒龍に、慌てて天兵が追い(すが)る。 
 な、なにゆえですか?」
 『国家守護者』どもが、思わぬ抜け穴から逃げ出す状況を想定した。これから、その穴を(ふさ)ぎにいく」
「黒龍様(みずか)らですか!?」
 ああ……」
「それならば、どうかお(とも)させてください。他にも何名か人員を召集しましょう」
 いや、俺一人で構わない。おまえたちは、引き続き港の封鎖にあたれ。一応、飯店周辺での凛霞及び『国家守護者』どもの捜索も続けろ。俺は多少遠くまで出向く。 こに戻るのが遅くなっても、妙な懸念はするな」 
 了解しました! し、しかし、お一人で行かれるというのは、やはり考え直されたほうが……。そのおみ足で長時間歩かれては、身体に(さわ)るやもしれませんし、せめて一人でも支えとなる者をお連れください」 
  こで、ようやく黒龍は足を止めた。振り返って、天兵に向き直る。 
「おまえも、この俺に同情するか? (ひと)りでは思う場所にも行けない弱者と扱うか?」
 抑揚(よくよう)のない、落ち着いた声音で問い掛けた。だが、その裏側に(ひそ)む激情を感じ取ったのか、黒龍より少し年下に見える天兵は顔色を変えた。 
 そ、そんなつもりは……」  
 (おび)えの表情を()の当たりにして気を(しず)めた黒龍は、心中で自嘲した。
 相手が心から自分を()(づか)ってくれたことは明らかだ。なのに、それを素直に受け止めることができないとは。 
 こんな(みじ)めな思いをしなければならなくなったのも、二年前からだ。
 黒龍は、(つと)めて穏やかな口調で、天兵に向かって言った。
 ……すまない。だが、おまえの心配は要らぬ心配だ。俺はもはや、この足で歩くのに慣れている。一人でも全く問題ない。それにこれは、俺個人の憶測(おくそく)(もと)づく行動だ。おまえたちを付き合わせるに(あたい)しない」 
 黒龍様……。差し出たことを申しました。失礼をお許しください!」
 天兵は、平伏(へいふく)せんばかりの勢いで頭を下げた。
「……(あと)は任せたぞ」
 黒龍は天兵に背を向け、再び歩き始める。その手には、一本の長い(つえ)が握られていた。
 向かおうとする先は、北の(みさき)
  分のなかにある確かな記憶は、あの岬だけ。
 たとえ(から)()りに終わるとしても、まずは行ってみるしかないのだ。
 そう、行くしかない。()ても立ってもいられないような(むな)(さわ)ぎがする。
  拠がないにもかかわらず、自分の憶測が的中してしまいそうな予感を覚えていた。
  が、黒龍は、敢えて独りで岬に向かう決断をした。
 ……やっぱりあなたも、怖いの?』 
 春明が口にしたとは信じ(がた)いほど()(えん)(りょ)な質問が、(とげ)となって心に突き刺さっていた。
 俺は、狠毒娘娘を恐れてなどいない……)
  明の言う通り、今の自分の実力なら独りでも十分だ。組織の力を借りるまでもない。
(二年前の雪辱(せつじょく)(おのれ)の手で果たしてやる!)
 黒龍は、駆け出せないもどかしさを()み締めながら、()(だい)()を速めていった。